猫と暮らせば。

君と生きる、この世界で、この家で、君たちと生きていく。

【君と生きるために】春夏秋冬(4) 愛を感じて

 初めての建築業界は、楽しくもあり、大変でもあった。

 とにかく知らないことだらけで、ついていくのにやっとだった。

 当時、「ブラック企業」という言葉が一般に浸透してきてはいたが、まだ今ほど世間から厳しく批判されるようなことはなかったのだと思う。残業代は、全く出ていなかった。そのことに対して疑問を持つこともなかったのは、経験もないのに育ててくれている感謝が勝っていたからだ。

 私は商品開発部という部署にいて、そこの部長は、私がアルバイトをしていたモデルハウスにもしばしば顔を出していた設計担当だった。日本各地でお客さんの家の設計をしている人で、私の設計(プランニング)の師匠でもある。今でも尊敬している。

 ただ、働き方は今にして思えば全く尊敬できず、兎に角夜遅くまで働く人だった。ストイックで、家から会社まで走って通勤しているのだが、部長が休みの水曜日、出勤すると「おはようさん」とランニングスタイルで会社から出てくる部長とすれ違うことが少なくなかった。片道走って40分という道のりを帰っていく部長に「おはようございます」とあいさつをして見送る。私が始発で出勤していて早いというのもあったが、部長はしょっちゅう会社に泊って徹夜で仕事をしていた。

 そんな人の下で働いていたから、私も働かないことが悪いことのように思われて、残業をしたり、居残りで勉強をしたりすることが結構あった。

 夢中になって仕事をして、22時を回ってそろそろ帰ろうかという頃、「まだおったんか」と驚きながら1階の事務所(私のいた事務所は1階で、部長は3階の事務所で仕事をしていた。2階はショールームと倉庫)を覗くことが時々あった。部長が帰るのではない、ご飯を食べに行くのだ。

「今からラーメン食べに行くんやけど、一緒に行くか?」

 いつもなら「もう帰りや」とか「今どんな状況や? 急がなあかんか?」と声をかけてくれるのに、ある時、そう言ってくれた。しかし、私は首を振り、

「今日はお金を持っていないので、帰ります」

 給料日前だったので、そう断って帰った。寒い冬の夜だった。

 翌日先輩から、「部長から聞いたで」とその話を笑われた。「部長はおごってくれるつもりやったのに」

 今なら、失礼な断り方をしたと思うが、おごられることに慣れていなかった私は、「ありがとうございます、ごちそうになります」のひと言が出てこなかった。給料日前の私を気遣ってくれていたのだ。

 可愛がられていたと、今なら思う。部長なりの優しさや愛情に感謝しかない。

 

 それでも私は、部長とラーメンを食べて終電で帰るより、一分でも一秒でも早く帰って、シャンに会いたかった。

 玄関を開けたらそこで待っているシャンを「ただいま」と抱き締めて、お風呂であったまって一緒に布団で温もりを分け合って眠るのだ。

 シャンの愛を感じて温かな夢を見れば、それだけで元気になれていたのだから。